【かなりHS寄りのTCG全般】RNGのおはなし・改

色々と書き直したかったので記事ごと新しく書き直し。
前に書いた方は消しました。当時の名残とかは残ってるけど。
流行に乗ってPTCGOの記事で増えた閲覧者を厳選していくスタイル。

 


カードゲームには古くから運の要素が存在する。
引きも勿論運だ。が、中にはカードの効果自体に運が存在する物もあった。
コイントスやサイコロの目によって効果や数値が変わるなんてカードがその一つ。
が、俺が知る限りはだが、リアルの方でのTCGで、これらのカードは環境で日の目を見ることは無かった。
…え、無いよね?
効果に運の要素があるカード群達は、時には運の絡まないカードと比べて強くなることは確かだが、しかし弱くなることもあった。
この弱くなるという部分のせいで、これらのカードは忌避されたのだと思う。
当然正位置で押し切ってた人がいた?知ら管。


……時代は流れ、ハースストーンを筆頭にデジタルTCGが生まれる。
ハースストーンを制作したblizzardの見解はこうだ。
「同じデッキで、同じ相手とばかり戦う場合、展開が似通ってしまう可能性がある。
プレイヤーを飽きさせない為に、デジタルでなら取り入れやすいランダム要素を入れる事により、同じ展開が起きにくいようにし、飽きにくいデザインを目指した
果たしてこれは正解だったのだろうか。
多くの意見があるだろうが、俺は正解でもあり間違いでもあったと思う。
俺は運が絡む対人ゲームには比較的寛容な方だと思うけれど、自分の中でも賛否両論な部分がある。


TCGとは関係ないけど、俺は昔ポケモン(本家の方)をプレイしていた。ブラックホワイト1~XYの最初期の環境。
ポケモンの対戦ルールはTCGと通ずる部分が多い。
対戦する構築との相性、環境へのカウンターは勿論、
構築段階でもパーティとのシナジーを意識するか、カード一枚一枚の強さを意識するか、が根底にある。
だが、TCGとはハッキリと大きく違う部分がある。
運の要素だ。
プレイしたことのある人なら分かると思うが、ポケモンは運次第でターンがスキップされたり、受けるダメージが2倍(or1.5倍)になったりと、カードゲームでは絶対にありえない現象がそれなりの確率で起こる。
HSと同じく、運の要素で笑うことも泣くこともあった。
ではポケモンに運の要素が無かったらどうなっていただろうか?


…少なくとも俺はプレイしないだろう。
運要素が絡むからこそ、最善の構築の模索や勝ち筋の探求ができた。
そして、運はプレイングにも絡んだ。
運の要素をケアする為にわざと少しだけ相手が有利になる可能性のある選択肢を選んだり、
それを読んだ一点突破的な選択肢も視野に入れる事ができた。
この絶妙な駆け引きがポケモンの最大の魅力であると言ってもいい。
sejunという韓国のポケモントッププレイヤーも、世界大会にて一転突破的な選択肢を選んだことはプレイヤーの間で有名な話である。多分。
俺の言いたいことをまとめると、
運の要素はこのように選択肢を絡めることで、ゲームを面白くするスパイスでもあるのだから、「面白くできるのであれば」好きにしたらいい、というのが持論。
XYで引退したのは、単純にこの駆け引きが無くなったからと胸を張って言える。*1





さて、話を戻そう。
運要素は正解だったかどうか、という話。
先程書いたように、面白ければというのも一つの条件ではあるが、もう一つ条件を提示したい。
勝ち筋又は負け筋は、運が全てであってはいけない
実力をキチンと出した上で、若干不利な状況までに追い込んだ後に上振れで勝てたってのは全然OK。
俺が許せないのは次のパターン。
例えば、シャダウォックシャーマンVSバースト手段の無いコントロールの場合
コントロールの勝ち筋は相手のプレイミスを除くと、ほぼ
「シャダウォックの雄叫びの発動順」
で勝敗が決まる。こんなのは絶対にあってはならない。
実力が直結し辛い対戦カードは、もはやゲームではなく作業であると言っていい。
なんなら、
カラザン期:コボルトフリーズメイジVSウォリコン
ウンゴロ期:クエストローグVSコントロール
のような、数ターンで希望が一切なくなるような状況に立たされた方がマシ。
「これはコンシ。勝ち筋がない」
「かなり薄いが勝ち筋はある。最後までやるか」→「時間の無駄だった」
負け戦ほど虚しいものはないが、同じ負け戦でも後者は真面目にプレイすればするほど負けた時には精神的にも沈んでしまう。



ところで、逆にマッチアップで全てが決まってしまう環境についても結局のところは同罪であると思っている。
例外はある。フリーズメイジのような「特定のデッキに対してのみの完璧な解答」であって弱点がハッキリしているような構築や、
ジャラクサスのような弱点は多いが1枚だけで特定デッキを圧殺するようなカードはとても好きだ。
それは環境を定義するカード、デッキではなく、あくまで「カウンター」であって、
「特定のデッキにさえ勝ててしまえばそれでいい」という、大会向けに近い考え方である。
間違いなく環境の中心だと言える何かが存在し、環境における一部のデッキが上記のような相性なら、メタはそれなりに著しく移り変わる。
なぜか? 使う側からしてもカウンターが取られやすいからだ。
カラザン期は凄くいい例で、
ミッドレンジシャーマンの苦手なデッキはマリゴスドルイドがカウンターになり、
マリゴスドルイドが苦手なデッキはミッドレンジシャーマンがカウンターになった。
環境の中心は常にミッドレンジシャーマンとマリゴスドルイドであった。*2
俺がウンゴロ期を嫌っているのは環境のデッキがほぼ全て「カウンター」に近い考え方のものだったから。
環境の中心はおらず、テックカードが豊富で、マッチアップ運がかなり出やすい環境だったと認識している。
比較的環境の中心になりやすいアグロですらローグのカウンターだったし。
広いデッキに対して有効なカードではなく、特定のデッキにしか刺さらない、
秘策を喰らう者、飢えた蟹、ゴラッカクロウラー、暴蝕ウーズ、これらのカードがほぼ全てのデッキにどれかは採用されているのは自然な事なのか、不自然な事なのか。
ゲームの実力、デッキへの理解力、対応策の熟知よりも、
「ピン刺しするかしないかの誤差程度にしかならない構築の方が大事」の一言だけで片付けられてしまうのはとにかく悲しい。
昔のHSは前者でのアプローチができていただけにだ。
(これに関しては各々の意見があっていいと思う)
俺の意見はHSはデッキ枚数が少ない分、試行回数を稼ぐほど構築によって相性差は埋まりやすくなるってのも含めた物。
で、結局のところ運の要素はあくまで介入しすぎない程度に、でもたまには介入する。ってのが一番いい。俺の中ではシュレッダーが運の要素として挙げる最適解。



◆ではこいつらは許されるか?

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タスカーに関しては、トテゴ以外であればまだ対処が可能なので、10歩くらい譲れば許せなくもない。
俺の判断基準である運で勝ち筋と負け筋を全て決定するカードでもない。他のカードパワーが高かったことで強さが成立していたカードでもあるのが理由。
当時、単純にシナジーが多すぎたというのもある。呪文トーテムも当たりだったし。
タスカーからトテゴだけ出ないようにしつつトログをナーフでもよかったかも?
これなら全然許容できる。
*3
というか、俺が一番嫌だったのは「コストが軽すぎる」って部分だったんだけどね。
4/4/3でそのままの性能ならワンチャン許せる。5/5/4ならどう足掻いても許せる。5/5/5でも許すか考えるレベル。

ヨグに関しても、正直なところ許容できる。
なぜか? 勝ち筋を潰すことも作ることもできるからだ。
e-sports(笑)と言われていたこのカードだが、
完全なケアまでは不可能だったが、ヨグを読んでシルヴァナスを出したり、手札に火力を貯めたり、10T(またはヨグが出るターン)までに決着を着けるという対策も可能だった。
また、これ一枚で決着が着くかと言われるとそうでもなく、出した後どちらにも勝ち筋のある状態で試合が続くケースも普通にある。
コストが重い事からも、環境をこれ一枚で定義しているカードになっていなかったことは、許される要素だったのかなと今なら思う。*4
今の惨状を見て過去を美化していると言われればそれまでなのだが、では聞きたい。
「今の環境」と「旧神orカラザン初期」どちらをプレイしたい?
前者なら俺とはソリが合わないということでOK。
例え運だ何だと言われようが、俺を動かすのは「勝ちたいという欲求」だ。
どうせやるなら、作業ではない形負ける直前まで勝ち筋の残るゲームがしたい。
例えe-sports(笑)って笑われたとしてもね。*5




◆まとめみたいな何か
俺は結局のところ、ゲームの面白さを「選択」という部分に見ているところがある。
一方的なゲームでは、選択肢はごく少数しか存在しない。
相性差のないマッチアップなんてミラーですらも先攻後攻を含めたら存在しない。が、多少相性がある中ででも俺は駆け引きを楽しみたい。
だからこそ、比較的選択肢の多めなコントロールを好んで使っている。まあ環境次第でころころ変えてたりしてるけど。
様々な要素を考慮して、多い選択肢の中から正解を導き、その上で勝つことのなんと気持ちいいことか。
HSはこの駆け引きが運の要素にも持ち込まれる為、プレイするカードは他TCGに比べてデッキ枚数30枚と少ないが、考える事が多いのは非常によくできていると思う。(ただし過去形)
そういう意味では、俺は運要素は正解だったと言える。
特に好きな運の要素は「ランダムなミニオンを召喚する」系の奴。
シュレッダー、無貌の召喚士、ファイアランドポータルとかね。ドブネズミなんかもお気に入り。メイルシュトロームポータルは許さん。あと性悪も(謎のこだわり)
いつしか運の要素は「ピリっと辛いアクセント」から「絶対的な力」に近い物へと変わった。
特に発見はいい意味でも悪い意味でも傷跡を残したんじゃないか。
そもそも発見は出た当初パワーが低めだった。*6
闇の売人なんかは発見先が1コスト固定だったのがいい意味で塩梅が効いていたし、
一見強そうな発見のイセリアルの召術士も、5/6/3とスタッツには恵まれていない。
ワタリガラスの偶像でも当時相当強かったのに、ストーンヒルの守護者や始原の秘紋なんか出しちゃダメだったのでは?ファンドラルとブイブイしないからへーきへーきってことなのか?
(ところで旧神当初はカバル教団の魔導書って強かったよな)
こう振り返ると、タリムが強すぎるからと発見(ていうかストーンヒル)について物議になったのは納得の行く話。
ストーンヒルの気まぐれで9コスから駆け引きも選択も何もなくなるからね。引ければOKで確率もそれなりってのは流石にアカン。
運のプールは広すぎるか狭すぎるくらいが丁度いいのかもしれない。
そもそもタリムなんて刷るなって話だが。
こんな運要素であれば、俺は正解ではないと言う。

あと、別に引きだけでも運は左右するので、リアルのカードゲームも運が介入しないわけではないが、介入要素がそれだけ(?)で、握っているかいないかの駆け引きを作れるのは凄いと思う。
MTGの面白い所は、勿論単純にカードを切るかどうかも選択肢だが、中盤以降は「土地を置くかどうか」ですら悩みの種になる部分。ブラフは準備する物。
最近ポケカ(PTCGO)を始めたが、こちらも中々面白い。相手ターンの介入が無くでも駆け引きは成立するものなのだと思い知らされた。
全般的に言えるけどハンデスは正義にはなりきれない必要悪なんだろうな。
DTCGが全体的にハンデスを嫌う傾向にある気がするけど、もしかしたら間違いなのではと思う。これはプレイヤーの意見をぜひ聞いてみたい。
勿論ドブや悪魔化プロジェクトみたいなカードじゃなくてランダムでもいいからちゃんと破棄するって奴な。

*1:シングル専だったので甘えてんじゃねーよカスってヤジはライフで受けます。

*2:かなりミッシャー寄りだけど。対応幅広すぎんだよコイツ

*3:もしするなら同時にマナワームもナーフだろうな。精霊の爪ナーフも前提条件だが。

*4:流石に繁茂繁茂練気練気ヨグはただの上振れだろ。

*5:ところでe-sportsって言い方やめてくれねえかな。格ゲー、シューティング、Dota系ならともかく、TCGだとやってる側からしても違和感しかねえ。
MTGはまあ…そういう物?

*6:サーフィンレーは知らない